最高峰のその先へ。25年目のプロトレック。
プロトレック25周年記念モデル、
マナスルPRX-8025HTの魅力をひもときながら、
プロトレックとプロ登山家 竹内洋岳、
ともに挑戦を続ける両者の25年の歩みについて振り返る。

プロ登山家 竹内洋岳
1971年東京都生まれ。一気に頂上を目指すアルパインスタイルを積極的に取り入れた少人数・軽装備の登山で一時期に複数のサミットを狙う登山スタイルで知られる。2012年5月26日、日本人初の8,000m峰14座完全登頂に成功。竹内氏の過酷な環境下での使用のフィードバックをもとに「MANASLU」のスペシャルモデルが開発された。
*PRX-8025HTは生産を終了いたしました。

PRX-8025HT
小島
マナスルは、プロトレック最高峰ラインとして、プロ登山家の竹内洋岳さんに命名からアドバイスをいただき誕生したモデルです。2009年のPRX-2000以来、8,000m峰14座完全登頂に挑む竹内さんとともに少しずつ経験値を積み上げ、完成度を高めてきました。その最新モデルがPRX-8000。今回のPRX-8025HTは、このモデルをベースにしています。
竹内
その信頼性は、わたしが実際のフィールドで実証済み。8,000m峰での使用に必要なスペックは、すでに備わっていました。そのうえで、このモデルを25周年モデルとしてさらに進化させるには何が必要なのか。企画の段階から開発の人たちとミーティングを重ね、いろいろとアイデアを出し合いました。
小島
竹内さんは、山はもちろんですが、時計に関しても造詣が深いんですね。そのため、ひとつひとつの指摘が具体的でイメージしやすい。今回も、ツールとしての機能を追求するだけでなく、時計として持つ喜びを感じられるものにしてはどうかという提案があった時、われわれ開発陣には、目指すべき目標や解決すべき課題がはっきりと見えた気がしました。実用性の先にある価値を高めていかないと、マナスルの次のステップはない。この25周年モデルでそれを体現していこうと。わたしを含めメンバー全員が奮い立ちました。
竹内
重要なのは、時刻や標高という数値を正確に伝えるだけでなく、今いる時間、空間を含めた体験そのものを、いかに表現できるかということ。それは、時計に新しい価値を生み出すことであり、同時にマナスルらしさを追求することでもあります。開発のみなさんには、わたしの山での体験を時計に落とし込めないだろうか、標高8,000mの世界観をデザインに盛り込めないだろうかということをお願いしました。
小島
竹内さんからの要望を受け、いろいろと山での体験談を聞き、資料を見せていただくなかで印象的だったのが「ハロ現象」。これをモチーフにデザインしたのが、PRX-8025HT最大の特長であるベゼルです。

開発本部 開発推進統轄部 プロデュース部 小島一泰

PRX-8025HT監修 プロ登山家 竹内洋岳

ローツェ上空に現れたハロ現象(竹内氏撮影)
竹内
ハロ現象は登山中に何度か目にしましたが、ローツェ登頂時に出逢った光景は忘れられません。登っていく方向にずっと見えていたためカメラにも収めました。太陽のまわりに見える虹のような煌めき。光の粒子が漂うような美しさは、今も記憶に焼き付いています。
そもそも、8,000mの世界は、平地に比べて空気が3分の1しかありません。では、その空間に何があるのかというと、わたしには光が漂っているように感じるんです。そこで見える色は、普段見えている色とは違う。単に標高8,000m地点に存在する色というだけではなく、低酸素が脳や身体に及ぼす影響であったり、生命感のない世界に対する畏怖の念であったり、足を踏み入れる人間に極限状況が挑みかかってくるような感覚であったり、その時その場所でわたしが感じる意識や感情のようなものが反映される。一瞬一瞬がわたしにとってかけがえのない光と記憶の世界。それを時計で表現するのは、たいへんな挑戦だったと思います。
小島
実際、この仕上げに到るまでには、さまざまな試行錯誤がありました。最終的にはペルラージュというリング状の模様で、空気中の水分子により光が屈折する様子を表現。さらに、DLCコーティングで宇宙に最も近い場所といわれる標高8,000mから見える暗い空の雰囲気を出しています。
64チタンという硬い素材は加工が難しく、製作には相当な手間と時間がかかりました。ペルラージュ模様そのものは時計としては伝統的な仕上げなんですが、それを最新の時計で、最新の素材に、最新の技法で具現化するというのは、ある意味チャレンジングで、それゆえにマナスルらしい特別な表現になったのではと思っています。
竹内
ベゼルのほかにも、インデックスと針を金属調の質感で統一するなど、わたしから提案したアイデアを細かい部分にまで反映していただきました。できばえにはとても満足しています。試作の段階では文字板やりゅうずのゴールドが目立ちすぎかなと思いましたが、完成品を手に取るとベゼルの煌めきとマッチして、全体としてバランスよく仕上がっていると思います。
小島
また裏蓋には、25周年を記念したコイニングバックを採用しました。刻印にある14の星は、竹内さんが日本人で初めて完全登頂を成し遂げた8,000m峰14座を表しており、左から8番目のひとまわり大きな星は、世界で8番目に高い山であり、モデル名の由来でもあるマナスルを意味しています。こうしたところからも、8,000m峰の世界観や竹内さんの偉業など、マナスルならではのストーリーを感じていただければうれしいですね。

ペルラージュ模様を施した64チタンベゼル

アニバーサリーロゴを刻印したコイニングバック

竹内氏の腕で存在感を放つPRX-8025HT
小島
プロトレックの歴史は1995年、初号機DPX-500とともに始まります。きっかけは、前年に発売されたATC-1100。このモデルでトリプルセンサーの開発に成功したのを機に、カシオの強みであるセンサー技術を生かした新ブランドを立ち上げることになりました。開発プロジェクト名は「Next 1」。当時、新入社員だったわたしは、このプロジェクトにデザイナーとして参加。その時手掛けたブランドロゴは、25年経った今もそのまま受け継がれています。
当時の資料を見ると、ブランドコンセプトのアイデアのひとつに「エベレスト登頂可能なBM(バロメーター)」という覚え書きがあり、この1行から今につながるプロトレックのすべてが始まったのだと思うと感慨深いですね。

ブランド立ち上げ時から使われているロゴのオリジナル原稿

手書きの開発資料。この1行からプロトレックが始まった
竹内
偶然なのか必然なのかわかりませんが、1995年はわたしが8,000m峰に初めて登頂した年でもあります。後の「14プロジェクト」の1座目となるマカルーですね。
当時は、時計と高度計は別物なのが当たり前の時代でした。しかも高度計はサイズも大きく高価なものだったので、首から提げて大切に使っていたのを覚えています。そんななか、小さいのに時計も高度計も入っているプロトレックの存在を知った時は驚きましたね。これは計測機器として価値があると確信しました。
まだ高度計測が8,000mに対応していなかったため、実際に使用することはありませんでしたが、いつかは使ってみたいと思っていました。同時に、プロトレックにも早く高所登山で使えるものになってほしかった。お互いに求めていながらも、その時が来るのを待っているような感じといったらいいでしょうか。こうした状態がしばらく続きました。

竹内氏とともに8,000m峰マナスルに登頂したPRW-1300

PRX-2000には今もローツェ登頂時のログが残る
小島
プロトレックと竹内さんとの出会いは2005年になってからですね。トリプルセンサーが改良され、高度計測も10,000mに対応した段階で、高所登山で実際に使用してくれるエキスパートを探していたタイミングでした。そこから、竹内さんとのやりとりが始まり、プロトレックの進化は一気に加速していくことになります。
竹内
アンバサダーになってからは、8,000mの登山で使う理想の時計像に、プロトレックが一歩でも半歩でも近づいてほしいという思いで、開発の人たちにはずいぶん無理なお願いもしてきました。そのつど困難な課題を乗り越え、要望に応えてくれたのは、ものづくりのプロとしての意地のようなものがあったからこそだと思います。
一方で、わたしにはわたしにしかできないことがありました。プロトレックに8,000m峰を経験させること。これがプロ登山家として、わたしがプロトレックと真剣に向き合う唯一の方法だったのです。たとえばローツェ登頂の際、わたしはPRX-2000でログをとりました。これはリアルな経験です。時計の性能を試したり、信頼性を実証するためには、使う人や使う環境とのリアルな関係性がなくてはならない。だからこそ、わたしも渡されたものをただ運ぶのではなく、お互いに挑戦をしていくつもりでプロトレックを腕に山に登りました。ともにキャリアを築き、ともに進化していくという関係。そこに、わたしとプロトレックの結びつきがある。プロトレックの進化が自分の進化になっていくような取り組みをしていきたい。その気持ちは今も変わっていません。
竹内
2012年、ダウラギリⅠ峰の登頂によって、8,000m峰14座完全登頂を目指すわたしの「14プロジェクト」は完了しました。しかし、それでわたしの登山が完結したわけではありません。
山の高さを今以上に高くすることはできませんが、登山の価値を高めていくことはできる。同じ山でもどう登るか、どう取り組むかというのは、先人たちの試行錯誤を受け継いできた今の登山家たちの使命であり、役割であり、責任でもあると思います。山の魅力は標高だけで決まるわけではないのです。
同じことは、時計づくりにもいえることだと思います。昔の時計職人は、今よりずっと厳しい条件のなかで知恵を絞ってきました。そこから機能美が生まれ、時代とともに洗練され、新しい価値を生み出してきた。今の世の中、時間を知るだけなら手段はいくらでもあります。それでもわたしたちが腕時計や、そのものづくりに心を動かされるのは、過去から受け継いできた伝統と革新に共感するから。そのなかに、その時計の本質的な魅力を感じるからではないでしょうか。
小島
プロトレックもセンサー技術を軸に進化を続け、マナスルを筆頭に、マルチフィールドラインやクライマーライン、スマートフォンリンクモデルなど、多様化するニーズにあわせてラインアップを強化してきました。すべてに共通するのが、ブランドコンセプトである「Feel the Field」。そして、その根底には竹内さんと培ってきたプロツールとしての信頼性がある。いわば竹内イズムが息づいています。
竹内
忘れてはいけないのが、プロトレックらしさ。そして、それをユーザーと共有することだと思います。プロトレックを腕につけることで、これから登山に行くんだという気持ちが高まる。一方、日常生活のなかでは、登山に対する誇りや山好きの意志表示にもなる。着ている洋服がかぶると恥ずかしいですが、プロトレックをしている者同士の間には、連帯感のようなものが生まれます。電車などで見かけると、つい話しかけてしまいたくなる。あえてこの時計をすることの意味を、常に問い直す必要があると思います。
小島
そうですね。アウトドアスタイルが日常生活のなかにまで広がっている今、ユーザーマインドに響くものづくりは大切な要素。そのうえで、常に新たな挑戦を続けていきたい。プロトレックは、そういうブランドであり続ける必要があるように思います。

時代やスタイルの変化に合わせてラインアップを拡大

日常使いを意識したカラーバリエーションも展開

これからもプロトレックと竹内氏の二人三脚は続く
竹内
わたしもプロの登山家である前に、フィールドのなかでいかに自分が楽しめるかという活動を日々行っています。釣り、カヌーから、化石掘り、たき火、さらには妄想エベレスト登山まで。いかに面白いものを見つけるか、その延長に8,000m峰や未踏峰への挑戦があるといってもいい。大切なのは、次はなんだ、次はどうするという意識。プロトレックもわたしも、「挑戦してきた」という過去形ではなく、「挑戦し続けている」という進行形にこそ意味がある。
初めての8,000m峰登頂から始まり、プロトレックとともに歩み続けた25年は、今振り返ると、長くもなく短くもなく、確かな手応えのある25年でした。そう感じるのは、一歩一歩着実に前進し続けてきたからだと思います。
山に登る時、わたしはプロトレックと一体化しているように感じます。わたしにとってプロトレックは、ただ時間や標高を伝えてくれる道具ではなく、大切な身体の一部であり、パートナーであり、わたしを頂上に押し上げてくれるかけがえのない存在。これからもプロトレックと一緒に、新たな挑戦を続けていきたいと思っています。